当組合について
組合の歴史
和田地区は、松川浦に隣接する地域で「海苔の養殖」や「アサリ漁」などの松川浦の漁業で生計を立ててきた集落です。
昭和33年(1948年)頃
松川浦の漁業の衰退など諸説はあるが、いわき市平の夏井集落等のいちご栽培を参考にして、有志たちにより露地栽培の「いちご栽培」が本格的に行われるようになりました。この当時は、「ダナー」や「麗紅」などの品種。
和田地区は、県内屈指の「いちご」の産地に成長しました。
(当時は1~2日おきに「いちご」を背負い電車で東京新宿市場、いわき平市場に持っていっても割に合うくらいの超高級品でした)
昭和55年頃
ビニールハウスを用いた栽培方法に変わりました。
以来、近代化を図り、生産量も増加して、東京や北海道にまで出荷するようになりました。
最盛期には朝5時から夜11時まで作業しても収入はわずか。老齢とともに作付面積の維持が難しく、生産性の低下を補うために1988年15件の農家が集まって「和田観光苺組合」を結成しました。
平成元年
全国の成功例をもとに「東北初」いちご狩り農園として和田観光いちご園を開業。
ピーク時には期間中約6万人もの観光客が訪れるほど賑わいました。
今や市内外から大勢の観光客が訪れる、相馬市を代表する人気の観光スポットです。直売所では、朝採りいちごを土産として購入することもできます。また近年、和田観光いちご園のオープンは、福島県の春の風物詩となってきており、テレビやラジオなどでも広報されています。
開園期間は、正月明けから5月いっぱいまで。
主に、粒が大きく甘いものが好まれ、和田観光いちご園では「章姫」と「さちのか」の2品種が中心です。その他「とちおとめ」「やよいひめ」などの品種も栽培されています。
平成23年3月(2011年)
東日本大震災前までは4月半ばから5月半ばまでは潮干狩りとともに楽しむこともできました。
それまでは毎年約3万人の観光客で安定しましたが、東日本大震災で状況が一変。
約3ヘクタールのうち約1.8ヘクタールが津波で流されました。いちごハウスの6割が被害を受けました。直売所は津波が押し寄せ、いちご農園の営業ができなくなりました。風評被害もあり、2011年のシーズンが終了後、組合の農家は8軒に減少しました。
震災時の津波到達地点の写真
震災後…多くのボランティアの方々の協力
- 2012年シーズン 観光客は6,000人 震災前の1/5
- 2012年期に水耕栽培施設の1棟
- 2013年期に水耕栽培施設の2棟 1棟増設
- 現在現4棟が稼働中
栽培面積は、土耕・水耕合わせて約2ヘクタールまで復帰
バーベキュー施設は、屋内型専用ハウスに生まれ変わりました。
水耕栽培施設を管理する農業法人「和田いちごファーム」の設立。
2014年
震災は、和田観光いちご園にも大きな打撃を与えましが、震災翌年の平成24年1月に再オープンし、現在では水耕栽培の設備導入などにより、順調に回復しつつあります。